1丁目1番地#139 秋田市千秋公園
(3月上旬訪問)
2020年最後は久保田城跡がある秋田市千秋公園です。明治時代に漢学者狩野良知によって命名され、千秋の「秋」は秋田の「秋」から取られたそうです。
東京でも「千代田区日比谷公園」や「葛飾区金町浄水場」など町名自体がその施設の名前になっていることがあるように、ここ千秋公園も住所自体が「秋田市千秋公園1」となっています。
電柱の標識にもれっきとした住所として「千秋公園」と書かれています。こちらは千秋城下町交差点の近くにある東側の入口で、公園内にある彌高神社の東参道入口となっています。
公園の北側には千秋トンネルが通っています。トンネルの上には小学校のグラウンドがあります。このあたりの地形の高低差を実感できます。
公園内の北東側にあるのが、共に秋田出身の江戸時代の国学者平田篤胤と経世家佐藤信淵を祀っているという彌高(いやたか)神社。明治時代に創建され、大正時代に今の位置に移転したそうです。
千秋公園内には他に與次郎稲荷神社・八幡秋田神社という神社もあります。
南へ進んでいくと綺麗な池がありました。胡月池というそうです。
久保田城は平山城で、千秋公園も高台にあるため眺めが良いです。こちらは東側で、あいにくの曇り空ですが遠くにはうっすら山並みも見えます。
こちらは百貨店や中央通りなどがある南側、中心部らしくビルやマンションが立ち並んでいます。
手前に見える緑の屋根の建物は秋田市立中央図書館明徳館で、公園のすぐ隣にあります。不思議な名前ですが、江戸時代の久保田藩の藩校の名前に因んでいるそうです。
また奥に見える一際高い建物は「ベルドゥムール ランドマーク秋田」という超高層マンションで、秋田県でも一番高い建物だそう。
ここはまだ中腹くらいなので、頂上を目指して頑張って上っていきます。
久保田城の表門です。厳かな感じがしてかっこいいですね。
さらに上っていくと一際目立つ建物が見えてきました。天守閣かな?と思ったのですが、実際は天守閣ではなく御隅櫓(おすみやぐら)でした。なんでも久保田城は当初から天守閣が無かったそうです。
後日調べたところ、石垣ではなく土塁で築かれているというのもこの久保田城の特徴なんだとか。確かに上ってくる間も石垣を見ませんでしたね。
本丸跡の近くには秋田藩最後の藩主である佐竹義堯の銅像がありました。2020年現在の秋田県の首長を務めるのも佐竹知事ですが、なんと本当に分家の佐竹北家の末裔なんだそうです。公園内には佐竹史料館という博物館もあり、秋田での佐竹家の強い影響力がうかがえます。
そんな頂上からの景色はこんな感じ。先ほどよりもさらに高いところに来たのが分かります。
公園でのんびりしすぎてしまったので、急ぎ目で頑張って下りてきました。こちらは秋田駅に近い公園南東側の入口です。
このあと秋田駅に戻り、電車で次の都市へ移動したのですが、それはまたいつか。
私は熱心な城好きというわけではないのですが、訪れた都市に城跡があると足が向いてしまいます。都市の成り立ちには港町や宿場町など色々ありますが、特に城下町由来の都市もたくさんあります。そういった都市では、現代の都市構造や街づくりにも城の存在が大きく関わっていると思うので、その起点となった城の姿をこの目で確かめたいと思うわけです。
しかし、いかんせん知識が不足しているので、ただ行って建物や周囲の景色を眺めるだけになってしまいがちです。高校で世界史地理選択だったから…と言い訳しても仕方ありません、知識があったらお城に行ったときにもっと楽しめるはず。日本史やお城のことを今一度勉強し直して、実際訪れたときにもっと色々なことを発見できるようにしたいですね。
1丁目1番地#137 秋田市千秋久保田町
(2020年3月上旬訪問)
近世以降、久保田城の城下町を中心に発展してきたという秋田市。そんな久保田城跡の東側にあるのが千秋久保田町(せんしゅうくぼたまち)です。久保田城がある千秋公園とJR秋田駅のちょうど間にあります。
千秋久保田町1番もJR秋田駅のほど近くにあります。北側から秋田駅や西武百貨店などがある市中心部に向かって緩やかな下り坂になっていて、この坂を逆に上っていくと千秋公園の入り口があります。
街区表示板は車道側にありました。反対側の歩道からズームで撮影しています。
「久保田城」「久保田藩」などで知られ、歴史がありそうな地名ですが、「千秋久保田町」という町名自体は1960年代の住居表示実施時に新設されたものなのだそうです。簡単に調べてみたところ「秋田」と「久保田」の地名の変遷はなかなか奥が深そうなので、一度しっかり調べてみたいところです。
1丁目1番地#135 厚木市愛甲東
(2018年訪問)
小田急小田原線で本厚木と伊勢原の間にある愛甲石田駅。厚木市と伊勢原市の市境にあり、厚木市側の「愛甲」と伊勢原市側の「石田」という2つの地名が複合された駅名になっています。(開業当時はまだ厚木市や伊勢原市はなかったようですが)
愛甲東一丁目1番は愛甲石田駅の南口の目の前にあります。駅前ということでお店や郵便局もありました。
南口なのに愛甲東ですが、小田急線の線路が北東から南西に向かって斜めに伸びているので間違いではありません。愛甲地域は東西に横長く、住居表示実施時に愛甲・愛甲東・愛甲西に分割されています。
愛甲石田駅の南口。国道246号に面し大きいロータリーやぺデストリアンデッキもある北口に比べて、南口はこじんまりとしています。なお駅舎自体は愛甲一丁目1番にあり、この駅前の道路が町の境界となっているようです。
また市境にある駅のため、写真の裏手にある南口のロータリーは伊勢原市側にあります。
1丁目1番地#133 武蔵村山市本町
(2020年6月訪問)
鉄道が通っていない市といえば神奈川では綾瀬市、千葉では富里市がありますが、東京都の26市の中にも1つだけあります。それが、北多摩にある武蔵村山市です。
公共交通機関でアクセスする際は西武線の玉川上水駅や多摩都市モノレールの上北台駅が近いのですが、私はせっかくなので花小金井から都バス最長路線・梅70系統を利用してみました。
見慣れたカラーリングの都バスですが、23区と違い後ろのドアから乗って整理券を取る方式なのが新鮮です。花小金井から青梅という長距離路線ですが、1時間に1本程度あって下手な都心部の路線と変わらない本数で驚きました。
利用者も結構いましたが、さすがに青梅まで乗り通す人は少なくどんどん入れ替わっていきます。
青梅街道をひた走るバスに揺られておよそ1時間、「武蔵村山市役所前」の停留所に到着。この路線のほかにも立川駅やJR八高線の箱根ヶ崎駅などからのバスがあるようです。
「○○前」という名前なのに実際はその施設から距離がある駅やバス停も多いですが、ここでは正真正銘バス停の目の前に武蔵村山市役所があります。そしてこの武蔵村山市役所があるのが本町一丁目1番地です。
近くにあった案内地図。武蔵村山市も住居表示ではなく町名地番整理が行われているようです。
お馴染みの表示板もしっかり市役所の脇にありました。書体が丸ゴシックなのが珍しいですね。
こちらは青梅街道側。バスもここを通ります。歩道が狭く交通量が多いので、周囲に気をつけながら車が減った瞬間を狙って撮影しました。
市役所の横にあった多摩都市モノレール延伸の早期実現を呼びかける看板。現在は東大和市の上北台駅で止まっているモノレールですが、武蔵村山市を経由してJR八高線箱根ヶ崎駅まで延伸する計画があります。実現すれば立川や多摩センターへのアクセスが向上し、鉄道空白地帯が1つ解消されることになります。
小池知事は今年1月に着手を表明したものの、その直後にコロナ禍が……。交通の在り方が今後どうなっていくのか分かりませんが、市民の願いが実現するといいですね。