1丁目1番地#147 千代田区永田町
(昨年訪問)
日本の政治の中心、千代田区永田町。現在の町名としてはおおよそ内堀通り・青山通り・外堀通り・六本木通りに囲まれた区域*1で、国会議事堂や首相官邸、議員会館などは全て永田町の町域内にあります。
永田町一丁目1番は国会前交差点の北西側にあります。
内堀通りと六本木通りが交差する国会前交差点。写真左側は皇居、右側の建物は警視庁で、奥には丸の内周辺のビル街も見えます。
町名は六本木通りを境に東側が霞が関、西側が永田町となっていて、警視庁庁舎も住所は霞が関です。
永田町一丁目1番は街区全域が国会前庭の北地区の敷地で、敷地内に憲政記念館もあります。
近くにあった町名由来板。
おなじみ国会議事堂。ちょうどライトアップが点灯する瞬間を見ることができました。
国会議事堂は一丁目7番にあります。しっかり街区表示板も設置されていました。
一丁目1番に戻って、前庭の国会議事堂側の入り口。写真奥が下り坂になっているように、このあたりも地形の起伏が大きく、国会議事堂は高台に建っていることが分かります。
街区の西側に憲政記念館があります。1960年に憲政の神様として知られる尾崎行雄を記念した尾崎記念会館として開業し、1972年に現在の憲政記念館となったそうですが、来年2022年春に移転しこの建物は取り壊される予定だとか。訪問時は開館時間ギリギリだったので見学はしませんでしたが、無くなる前に是非見学したいですね。
訪問したのは12月、16時頃でもあたりはだいぶ暗くなっていました。雲の隙間から綺麗な月が出ていたので、無理やり街区表示板と絡めて撮ってみました。
街区の北端は国道246号の起点にもなっている三宅坂交差点です。首都高のジャンクション名としても有名なほか、最高裁判所もこの交差点の角にあります。写真中央に写っているのが最高裁庁舎で、住所自体は隣の隼町です。
またかつては55年体制の片翼を担った日本社会党の本部もこの交差点の近くにあり、所在地から三宅坂と呼ばれることもあったとか。テレビ局の「赤坂」「お台場」や出版社の「音羽」「一ツ橋」のように、直接言わず所在地の地名で婉曲的に呼ぶ文化は面白いですね。
内堀通りに並行して首都高都心環状線が通っています。ちょうど霞が関トンネルと千代田トンネルの間、わずかに地上に顔を出す区間になっていて、写真のように高速道路を間近で見ることができます。
この国会前庭北地区一帯はもともと加藤清正邸で、のちに井伊家の上屋敷になったといいます。現在もこの近くに有楽町線桜田門駅がありますが、桜田門外の変も井伊直弼はこの屋敷から移動する途中に襲撃されたそうです。
その後この地には参謀本部や陸軍省などが置かれ、戦後に庭園が整備されました。
だいぶ日が暮れてきましたが、名所がたくさんある前庭の中にも入っていきます。入場は無料ですが、開園時間が決められているので訪問する際は注意が必要です。
首都高の霞が関トンネル入り口、内堀通り、そして丸の内のビル群まで見渡せます。記事冒頭の写真2枚目と見比べると、前庭の標高の高さが分かります。
それにしても高速道路の壁面の重厚な感じとスマートなビル群のコントラストが美しいです。
北庭の中央には時計塔があります。尾崎記念会館建設時にあわせて整備されたといい、3つの面がある形状は立法・行政・司法の三権分立を象徴しているそうです。
そして時計塔の近くにあるのが日本水準原点です。
地理好きとしては一度は来ておきたかったスポットですが、一丁目1番にあるとは知りませんでした。前述のようにかつてこのあたりに参謀本部があり、軍事上重要な測量などを行う陸地測量部もあったことからこの地に置かれたようです。
日本水準原点を見て満足したあと、国会前交差点に戻ってきました。もう真っ暗です。
日本の政治の中心である永田町。1丁目1番地もまた政治にとって重要な施設があり、政治に関わる歴史が多く残されていました。そして日本の標高の基準となる日本水準原点もあり、象徴的なものが多い1丁目1番地でした。
*1:溜池交差点付近で微妙に港区赤坂2-2が食い込んでいます