1丁目1番地

全国の1丁目1番地を探して

1丁目1番地#51 大阪市中央区大手通

大手前の西にある中央区大手通。町域は大阪城大手門付近から伸びている通りが中心になっていて、西端の東横堀川に架かっている橋も大手橋という名前になっています。

 

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谷町筋の近く、オフィスビルが多い大手通一丁目1。このあたりは東西方向に細長い町域を持つ町が多く、東側に若い番号が来るようになっているため、南北方向では違う町の1丁目1番地が近接しています。

1丁目1番地#50 大阪市中央区大手前

大阪府庁や府警本部など、官公庁が集中する大阪市中央区大手前。東京大手町をはじめ仙台・沼津・広島など全国に「大手町」という地名が存在しますが、いずれも城の大手門が由来になっていて、ここ大阪大手前も由来である大阪城大手門のすぐ近くにあります。

 

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大手前一丁目1は京阪天満橋駅の東側「京阪東口」交差点の近くにあり、街区全域が写真の日経のビルになっています。日本経済新聞の大阪本社があったそうですが、2015年に京阪電車で1つ隣の北浜駅近くにある中央区高麗橋に移転し、現在は別館として系列企業の本社などが入っているようです。

街区内やその周辺には豊臣時代の石垣の遺構が見られ、かつてこのあたりも大阪城の一部だった痕跡がうかがえます。

1丁目1番地#49 大阪市中央区千日前

難波の千日寺の門前町というところからこの名が付いたとも言われる中央区千日前。隣接する地域に「難波千日前」という町名もあるほか、ミナミを東西に横切る千日前通や地下鉄千日前線でも有名です。

 

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千日前一丁目1も難波や道頓堀、日本橋などと連続した繁華街の中に位置します。このあたりもいろいろなお店が立ち並んでいますが、徐々に歓楽街の色も少し増えてくるような気がします。

1丁目1番地#48 大阪市中央区道頓堀

在京メディアで大阪の象徴として取り上げられることの多いグリコの看板でおなじみ道頓堀は、川や地域の名前だけでなく住所にもなっています。

 

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中央区道頓堀一丁目1は道頓堀東口、日本橋と相合橋の間の南側に位置します。グリコの看板がある地区からは少し離れていますが、なんば・道頓堀から日本橋や島之内方面へつながるため、賑やかな繁華街が続いています。写真のかに道楽があるところが一丁目1です。

 

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街区表示板ですが、この1枚は少し特殊なデザインです。下が普通のものですが、書体や文字のバランスなどが違うのが分かります。

ちなみにこのド派手な外壁は、道頓堀・難波周辺に数店舗ある「金龍ラーメン」の本店。店内は賑わっていて良い匂いもしたので入ってみたかったんですが、1人だと少し入りづらい…。

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相合橋からなんば駅方面に伸びる相合橋筋と、龍のオブジェが目を引く金龍ラーメン本店。観光客の絶えない賑やかな通りです。

1丁目1番地#47 大阪市中央区難波

言わずと知れた梅田と双璧をなす大阪の中心繁華街、難波。道頓堀や千日前、湊町などまで広がる「ミナミ」の中心で、南海電車のターミナルや千日前通の周辺には大小多種多様なお店が立ち並びにぎわいの絶えない地域です。

 

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難波一丁目1は道頓堀や千日前との境界にあたり、南海なんば駅やマルイなどがある地区からは少し距離があります。写真はお隣2番にある法善寺の入口、「千日前」の由来となった「千日寺」の別称を持っていたお寺の1つです。もともと当街区のあたりも法善寺の境内だったそうで、その名残を持つ街区北端の法善寺横丁も石畳で風情ある雰囲気です。

1丁目1番地#46 大阪市西成区萩之茶屋

西成区萩之茶屋。駅名では南海電車新今宮の1つ先ですが、町名としてはだいたい新今宮駅萩ノ茶屋駅間の東側にあたります。

 

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一丁目1は町域の北端、新今宮駅のすぐ南側にあります。写真はJR新今宮駅の高架をくぐって街区内の「新今宮駅前」駅に進入してくる阪堺電車です。

 

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以前は「南霞町」という駅名でしたが、JR・南海電車・地下鉄との結節点である当駅の乗り換えを分かりやすくするために2014年12月に現在の駅名に改称されました。

かつて西成暴動があった頃に放火で駅舎が焼失、現在の位置に”仮駅舎”として移転され、駅名が変わった現在までそのまま利用されているという歴史を持ちます。