1丁目1番地

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1丁目1番地#177 江東区永代

隅田川に架かる永代橋。その東詰にあるのが江東区永代(えいたい)です。

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永代橋東詰、江東区側の風景です。写真の右側・永代通りの南側が永代一丁目1番、写真左側・永代通り北側が佐賀一丁目1番で、1丁目1番地が隣接しています。

そしてこの永代橋の特徴の一つとして、道路の中央線が時間帯によって変わるリバーシブルレーンと呼ばれるシステムがあります。

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上部の標識を拡大してよく見ると、中央車線だけ縦の線が入った可変標識になっているのが分かります。

この写真ではバツ、つまり真ん中は江東区から中央区への都心方向の車線として使われているということを意味します。

これが平日の18時から21時という都心からの帰宅ラッシュ時間帯には、中央区から江東区方向への車線として使用されるため、標識はマルに切り替わって中央線の表示も変わります。

 

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橋のアーチ部分の上部にはLEDの表示がついています。

水色のアーチが美しい現在の橋は、関東大震災後の帝都復興事業で清洲橋とペアで設計されたといい、清洲橋は女性的で優美、永代橋は男性的で重厚というように対比的なものになっています。当時はこれより下流側に橋は無く、永代橋は「帝都の門」と言われたそうです。

 

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こちらは中央区側の標識、江東区側と同じく真ん中の車線と中央線の表示だけ可変式になっています。

ちなみに通行できる車線の標識が江東区側のものは白地に青い丸でしたが、こちらは青地に白の矢印となっています。

 

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中央区側から見た永代橋

 

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永代橋上の南側から見た中央区佃のタワーマンション群。こうして見ると「佃島」というのがよく分かります。永代橋佃島はかつては歌川広重の浮世絵でも描かれたそうです。

永代橋といえば数々の文学作品の舞台としても登場しています。私の永代橋との出会いも、塾の国語の授業で読んだ永代橋を題材にした小説でした。その後初めて実際の橋を目にしたときは、これがあの永代橋かと感慨深く思ったものです。

 

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江東区側に戻って、本題の永代一丁目1番。隅田川と永代河岸通りに挟まれた細長い街区で、隅田川に面して永代公園という公園があります。

 

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先述のように永代通りを挟んだ向かい側は江東区佐賀一丁目1番です。このあたりを含めた深川周辺は古くは永代島と言われたそうで、この永代島が永代橋の名前の由来になったという説もあります。

 

 

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この街区表示板が設置されている江東区永代橋際公衆便所ですが、屋根の形が永代橋を模したデザインになっているのが洒落ています。

 

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ミニ永代橋の奥に本物の永代橋

 

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1つ上流側の隅田川大橋から見た永代橋。公衆トイレの屋根もよく特徴を捉えていることが分かります。

昼でもきれいな眺めですが、夜になると橋もライトアップされ、奥のタワーマンション群と合わせて美しい夜景が見られます。

また永代橋の上から佃島の夜景を撮影している人も時々見かけます。

渡ってよし、眺めてよし。建築的にも道路的にも文化的にも特色があり、様々な顔を楽しめる永代橋です。