1丁目1番地

全国の1丁目1番地を探して

1丁目1番地#150 千代田区日比谷公園

(昨年訪問)

日比谷駅日比谷公園をはじめ、さまざまな施設で使われている「日比谷」の地名ですが、実は千代田区日比谷○丁目といった住所は存在しません。その代わり、日比谷公園の住所は東京都千代田区日比谷公園。施設名がそのまま町名になっています。

千代田区日比谷公園は全域が都立日比谷公園の敷地で、街区も日比谷公園1番しかありません。

公園内には日比谷公会堂や野外音楽堂、図書文化館といった文化施設もあり、これらの住所も千代田区日比谷公園1-○といったようになっています。

 

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日比谷公園1番は有楽町霞が関内幸町の1丁目1番地と隣接しています。

日比谷公園日比谷駅のほかに霞ケ関駅や内幸町駅からも近く、公園内のどこに行きたいかによって便利な駅が変わります。

 

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南東端は内幸町交差点。奥に都営三田線内幸町駅の出入口も見えます。

ちなみに日比谷公園には南東側に内幸町交番、北東側に日比谷公園前交番と、1つの街区内に交番が2つもあります。

 

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内幸町側の入口、幸門。日比谷公園には複数の門がありますが、両脇に立っている門柱もそれぞれ特徴があるようです。

 

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公園内の南側にある日比谷公会堂。この重厚な建物は1929年に竣工したもので、現在は改修工事が行われています。コンサートのほか政治演説会なども数多く行われてきたそうで、大昔に社会党浅沼稲次郎委員長が公開演説中に暗殺される事件がありましたが、その舞台もこの日比谷公会堂だったといいます。永田町1-1にある憲政記念館を見学したとき、事件当日の浅沼委員長の演説原稿も展示されていたのが生々しく印象に残っています。

 

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日比谷公園内から見る内幸町1-1。ちょうど今日ニュースでもこの内幸町一丁目街区の再開発に関する記事を見かけました。

写真中央の日比谷U-1ビルは全面がガラス張りになっていて美しいです。先進的に見えますが、これでも1984年竣工だというので驚きです。

帝国ホテルはさすが貫禄がありますね。あまり真正面から見ることは少ないのですが、見る角度によって違った印象があるように思います。

 

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帝国ホテルの左手には有楽町1-1にある東京ミッドタウン日比谷。優美な曲線を描いたデザインでいかにも現代的な感じです。ただ個人的には大手町や日本橋によくあるような直線的なデザインのビルのほうが好みかもしれません。

 

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さらにこちらは公園の西側、霞が関1-1です。上2つの有楽町や内幸町の高層ビルと見比べると、さすが官庁だけあってビル自体もお堅い雰囲気があります。

 

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公園内にある鶴の噴水。日本で3番目に古い装飾用噴水だそうです。都心のど真ん中にこんな優雅な場所があるのは素敵ですね。

 

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こちらは祝田橋交差点側の祝田門。幸門と比べると上部についている照明の形が全然違いますね。

 

以上で年明けの大手町から始まった都心部シリーズは一旦終了です。全て同じ日に訪問しているのですが、どの1丁目1番地も見所が盛りだくさんで、結局更新に半年かかってしまいました。

緊急事態宣言が続く東京ですが、都県境を超えなくてもまだまだ未知の場所がたくさんありますし、近所やよく行くところですら日々新たな発見があるものなので、そうした部分を楽しんでいきたいですね。

1丁目1番地#149 千代田区内幸町

(昨年訪問)

都営三田線で日比谷の一つお隣、内幸町。有楽町・霞が関・新橋などに囲まれたオフィス街で、大丸有とはまた違った雰囲気があります。すぐ隣に日比谷公園があり、最寄り駅が内幸町や霞ケ関でも「日比谷」を冠するビルが多く見られます。

内幸町駅は千代田区内幸町と港区西新橋との境界に跨っていて、かつては(西新橋)という副駅名が付いていました。新橋駅にも近く、銀座線新橋駅から内幸町方面への地下歩道もあるのですが、内幸町駅までは繋がっていないのが残念なところです。

一方、内幸町駅と霞ケ関駅とはビルの地下街経由で繋がっています。

 

内幸町一丁目1番はJR線の線路と千代田線日比谷駅三田線内幸町駅に挟まれたかなり広い街区で、内幸町一丁目のうちの半分以上をこの1番街区が占めています。

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内幸町一丁目1番1号には日本を代表する高級ホテル、帝国ホテル東京があります。写真右側の本館と左側のタワー館に分かれていて、本館の設計は学士会館日本橋高島屋なども手掛けた建築家・高橋貞太郎によるものです。築50年を超えているということで、先日建て替えの報道がありましたね。

 

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こちらがタワー館。新しそうな感じですが1983年竣工だそうで、建て替えもタワー館から先に行われるそうです。

 

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帝国ホテルタワーの東側にはJR各線の高架があります。奥は有楽町の繁華街です。

有楽町から新橋は近いので気分転換がてら歩くことも多いのですが、この煉瓦のアーチがいつ見ても素敵です。

 

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そんな素敵な高架下、1丁目1番地ではありませんが日比谷OKUROJIという商業施設ができていました。

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街区南東側には東京電力本社があります。この本社の外観はニュースの資料映像などで時々見ますね。

なお新幸橋という交差点名ですが、現在東京高速道路が通っているところにかつて外濠があり、そこに架かっていた橋の名前のようです。

 

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街区南西側にはみずほ銀行内幸町本部ビルがあります。元々は合併前の第一勧銀の本店ビルだったそうです。
 

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日比谷通りと国会通りが交わる内幸町交差点。中央の建物は日比谷公園内にある市政会館です。

 

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NTT日比谷ビルも街区内にあります。これは日比谷通りを南方向を見たもので、写真奥にある地下鉄のマークが内幸町駅の出入口です。

 

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こちらは日比谷通りの北方向です。写真左側には日比谷公園の緑、そして奥には巨大な帝国ホテル本館が見えます。

 

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日比谷U-1ビルというビルもありました。全面がガラス張りになっていて、日比谷公園の低い空が反射しています。調べてみると、なんと昔ここに鹿鳴館があったそうです。

街区内にあるビル1つ1つが大きめで、内幸町一丁目1番の広さを実感しました。

 

そしてこれらのビルは今後再開発によってすべて生まれ変わる予定です。

 

近くの有楽町一丁目1番にあるミッドタウン日比谷も三井不動産による開発でしたが、この内幸町でも三井不動産が中心となって広大な一丁目1番街区を丸ごと再開発する計画があります。

今後どのような街づくりが行われていくのか楽しみですが、まずは今の景色をしっかり目に焼き付けておきたいですね。

1丁目1番地#148 千代田区霞が関

(昨年訪問)

日本の政治の中心・永田町のすぐお隣、こちらは行政の中心・霞が関。言わずと知れた官庁街で、1府12省庁のうち永田町にある内閣府と新宿区市谷本村町にある防衛省以外の全ての本省が霞が関にあります。

なお地下鉄の駅名は「霞ケ関」ですが、町名は「霞が関」とひらがなになっています。町名も元々は「霞ヶ関」だったのが、住居表示実施時にひらがなの「霞が関」へと変更されました。千代田区内では同様に、丸の内も住居表示に際して「丸ノ内」から「丸の内」へと変更されています。

余談ですが、東京メトロの駅名は「四ツ谷」(現行町名は四谷)、「市ケ谷」(都営地下鉄は「市ヶ谷」)、「西ケ原」のようにほとんど大きな「ツ」や「ケ」に統一されていますが、比較的開業の新しい副都心線雑司が谷駅は町名に合わせてひらがなが用いられています。また東京メトロの駅でも営団時代の看板が残っているところでは小さい「ヶ」の表記も見られます。

 

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数多くの官庁がある霞が関ですが、霞が関一丁目1番には法務省や裁判所、弁護士会館など司法や法務に関する機関が集中しています。

 

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日比谷公園の中から見た霞が関一丁目1番の東側です。左から弁護士会館、中央合同庁舎第6号館C棟・B棟・A棟です。

 

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まず街区の南東側にあるのが弁護士会館。日本弁護士連合会(日弁連)と東京弁護士会第一東京弁護士会第二東京弁護士会などが入居しています。面積が大きい北海道を除いて基本的に各県に1つずつ弁護士会があるようですが、東京は大昔に色々な事情があって分裂し3つ存在しているそうです。

また弁護士会館のすぐ隣には霞ケ関駅のB1出口があります。

  

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続いて中央合同庁舎第6号館、A・B棟には法務省検察庁公安調査庁などが、C棟には東京家裁・簡裁などが入居しています。

 

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よくニュースで見る構図で撮ってみました。

 

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このあたりでは一般的な案内地図のほか、「霞が関中央官庁案内」という独自の案内板が各所に設置されています。この地図には住居表示の番号は書かれておらず、代わりにA〜Hのアルファベットが街区に振られています。この霞が関一丁目1番はアルファベットでも最初の「A」街区とされています。

 

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近くに歩道橋があったので上ってみました。まずは南方向を見てみます。右側が霞が関一丁目1番、左側が日比谷公園、そして正面奥には虎ノ門ヒルズが見えます。

 

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続いて北方向。正面に見えるのは丸の内一丁目1番パレスビルですね。

 

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街区の北東側にある祝田橋交差点、ここが晴海通りの起点となっているようです。奥には月も出ています、真昼の月です。
 

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祝田橋交差点を曲がって、街区北側の内堀通りを西へ進んでいくとクラシカルな建物が見えてきます。霞が関一丁目1番1号にある法曹会館で、レストランや会議室のほかに披露宴会場もあるそうです。

 

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内堀通りをさらに西へ進むと法務省旧本館と警視庁本部庁舎が見えてきます。

 

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街区の北西側は桜田門交差点で、街区内には桜田門駅の5番出入口もあります。警視庁本部庁舎は道路の反対側、霞が関二丁目にあります。

乗換駅には指定されていませんが霞ケ関駅桜田門駅は近く、路線図には掲載されていない千代田線と有楽町線を繋ぐ業務用の連絡線もあります。

 

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そして桜田門駅5番出入口の目の前に法務省旧本館があります。明治時代にドイツ人建築家によって設計されたものだそうで、無機質なビル群の中で鮮やかな赤レンガが一際目を引きます。

 

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上の写真に小さく写っていた記念碑、この場所はかつて米沢藩上杉家の藩邸があったそうです。永田町もそうでしたが、このあたりは江戸時代には大名屋敷が立ち並んでいたエリアだったようです。

 

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街区西側に東京高等・地方・簡易裁判所合同庁舎があり、その名の通り東京高裁や東京地裁が入居しています。窓が高層部にしかない特徴的な外観ですが、低層部に法廷があるのだとか。

 

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こちらもニュースでよく見る構図です。

 

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東京地裁東京地検弁護士会館が並んでいる霞が関一丁目1番、まさに司法の1丁目1番地です。

1丁目1番地#147 千代田区永田町

(昨年訪問)

日本の政治の中心、千代田区永田町。現在の町名としてはおおよそ内堀通り青山通り外堀通り六本木通りに囲まれた区域*1で、国会議事堂や首相官邸議員会館などは全て永田町の町域内にあります。

 

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永田町一丁目1番は国会前交差点の北西側にあります。

 

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内堀通り六本木通りが交差する国会前交差点。写真左側は皇居、右側の建物は警視庁で、奥には丸の内周辺のビル街も見えます。

町名は六本木通りを境に東側が霞が関、西側が永田町となっていて、警視庁庁舎も住所は霞が関です。

 

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永田町一丁目1番は街区全域が国会前庭の北地区の敷地で、敷地内に憲政記念館もあります。

 

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近くにあった町名由来板。

 

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おなじみ国会議事堂。ちょうどライトアップが点灯する瞬間を見ることができました。

 

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国会議事堂は一丁目7番にあります。しっかり街区表示板も設置されていました。

 

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一丁目1番に戻って、前庭の国会議事堂側の入り口。写真奥が下り坂になっているように、このあたりも地形の起伏が大きく、国会議事堂は高台に建っていることが分かります。

 

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街区の西側に憲政記念館があります。1960年に憲政の神様として知られる尾崎行雄を記念した尾崎記念会館として開業し、1972年に現在の憲政記念館となったそうですが、来年2022年春に移転しこの建物は取り壊される予定だとか。訪問時は開館時間ギリギリだったので見学はしませんでしたが、無くなる前に是非見学したいですね。

 

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訪問したのは12月、16時頃でもあたりはだいぶ暗くなっていました。雲の隙間から綺麗な月が出ていたので、無理やり街区表示板と絡めて撮ってみました。

 

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街区の北端は国道246号の起点にもなっている三宅坂交差点です。首都高のジャンクション名としても有名なほか、最高裁判所もこの交差点の角にあります。写真中央に写っているのが最高裁庁舎で、住所自体は隣の隼町です。

またかつては55年体制の片翼を担った日本社会党の本部もこの交差点の近くにあり、所在地から三宅坂と呼ばれることもあったとか。テレビ局の「赤坂」「お台場」や出版社の「音羽」「一ツ橋」のように、直接言わず所在地の地名で婉曲的に呼ぶ文化は面白いですね。

 

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内堀通りに並行して首都高都心環状線が通っています。ちょうど霞が関トンネル千代田トンネルの間、わずかに地上に顔を出す区間になっていて、写真のように高速道路を間近で見ることができます。

 

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この国会前庭北地区一帯はもともと加藤清正邸で、のちに井伊家の上屋敷になったといいます。現在もこの近くに有楽町線桜田門駅がありますが、桜田門外の変井伊直弼はこの屋敷から移動する途中に襲撃されたそうです。

その後この地には参謀本部陸軍省などが置かれ、戦後に庭園が整備されました。

 

だいぶ日が暮れてきましたが、名所がたくさんある前庭の中にも入っていきます。入場は無料ですが、開園時間が決められているので訪問する際は注意が必要です。

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首都高の霞が関トンネル入り口、内堀通り、そして丸の内のビル群まで見渡せます。記事冒頭の写真2枚目と見比べると、前庭の標高の高さが分かります。

それにしても高速道路の壁面の重厚な感じとスマートなビル群のコントラストが美しいです。

 

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北庭の中央には時計塔があります。尾崎記念会館建設時にあわせて整備されたといい、3つの面がある形状は立法・行政・司法の三権分立を象徴しているそうです。

 

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そして時計塔の近くにあるのが日本水準原点です。

 

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地理好きとしては一度は来ておきたかったスポットですが、一丁目1番にあるとは知りませんでした。前述のようにかつてこのあたりに参謀本部があり、軍事上重要な測量などを行う陸地測量部もあったことからこの地に置かれたようです。

 

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日本水準原点を見て満足したあと、国会前交差点に戻ってきました。もう真っ暗です。

 

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日本の政治の中心である永田町。1丁目1番地もまた政治にとって重要な施設があり、政治に関わる歴史が多く残されていました。そして日本の標高の基準となる日本水準原点もあり、象徴的なものが多い1丁目1番地でした。

*1:溜池交差点付近で微妙に港区赤坂2-2が食い込んでいます

1丁目1番地#146 中央区日本橋本石町

(昨年12月訪問)

西河岸橋が接する4つの1丁目1番地、最後は中央区日本橋本石町(ほんごくちょう)です。東京駅と神田駅の中間の東側付近に位置し、日本銀行の本店があることで有名です。

ちなみに日本橋本石町四丁目の一部はJRの線路の西側にもはみ出ていて、その場所は中央区で唯一の山手線内側の地域となっています。

 

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日本橋本石町一丁目1番も、先の3つと同じく日本橋川に面した細長い街区です。オフィス街ですが表通りから一本入ったところにあり、訪問したのが日曜日ということもあってひっそりとしていました。

 

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西河岸橋の上から日本橋川の西側を見たものです。左側が八重洲一丁目1番、右側が日本橋本石町一丁目1番です。

 

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街区の西端も八重洲と同様に一石橋です。本石町と一石橋、関係がありそうですが軽く調べたところ由来は別々のようです。

かつてはここから8つの橋が見えたことから八ツ見橋などとも呼ばれたそうで、当時の様子は歌川広重の名所江戸百景にも描かれています。 

 

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一石橋の歴史について記された碑がありました。首都高の地下化工事が完了すれば、一石橋の姿も見やすくなりますね。

 

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日本橋川に並行する形で半蔵門線のホームがあるため、日本橋室町一丁目1番と同様に一石橋北詰のすぐ近くにも三越前駅の出入口があります。しかし前の記事と写真を見比べると分かりますが、こちらの出入口には銀座線の表記がありません。

三越前駅は銀座線と半蔵門線の改札が分かれていて、改札外乗り換えが必要な駅です。室町側の出入口から地下に入ると半蔵門線改札と銀座線改札の両方に通じているのですが、この本石町側の出入口には半蔵門線改札しかなく、銀座線改札まで通り抜けることができません。そのため看板でも半蔵門線しか案内されていないのだと思われます。地下の改札口にも銀座線は利用できない旨が掲示されています。

素直に案内に従っていれば何の問題もないですが、路線図に詳しい人だと逆に「三越前は銀座線も通っているから、看板に出ていなくても乗れるはずだ」と思ってしまうかもしれません。東京の地下鉄は難解ですが、地上の道路や建造物などと合わせて構造を見てみるといろいろ面白いですし、実生活でも役に立ちます。

 

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一丁目1番では街区表示板が発見できなかったので、2番のものを。町名が長くぎっちりしているのが印象的です。長い町名の場合は港区台東区のように漢字の横にローマ字を配置するほうがすっきりしそうです。

 

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おまけ。12月末に訪問したため、街区内にあるハンバーガー屋さんの店先では牛さんがサンタ帽を被っていました。かわいいですね。

1丁目1番地#145 中央区日本橋室町

日本橋の北側にあるのが日本橋室町です。日本橋三越コレド室町、また国の重要文化財半沢直樹のロケ地にもなった三井本館などがあり、賑やかながら厳かな風格も感じられます。

余談ですが、私が小学生の頃に初めて室町幕府という言葉を知ったとき、この日本橋室町にあった幕府なのかと勘違いしてしまいました。日本橋室町という町名の由来は諸説あるようですが、京都の室町にならったという説もあるようなので、全く関係ないわけではないのかもしれません。

 

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日本橋室町一丁目1番は町域の南端、日本橋のすぐ北側にあります。日本橋日本橋一丁目1番と日本橋室町一丁目1番という2つの1丁目1番地に挟まれているわけです。

というのも地図を見る限り中央区では日本橋川が付番の起点になっているようで、日本橋川以南の地域では町域の北端に、日本橋川以北の地域では町域の南端に1丁目1番地があります。

 

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すぐ近くに地下鉄三越前駅の出入口があります。三越前駅は銀座線と半蔵門線のホームが大きく離れているのですが、この出入口から近いのは半蔵門線です。橋の南側にはすぐ日本橋駅の出入口もあるので、ここから銀座線に乗る場合はどちらの駅を使っても距離はあまり変わらなさそうです。

 

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街区の西端は西河岸橋です。八重洲一丁目1番で紹介したように、よくタクシーが停まっています。先に紹介した八重洲日本橋と次に紹介する日本橋本石町を合わせて、4つの町の1丁目1番地の境になっている記念すべき(?)スポットです。

 

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西河岸橋の上から見た日本橋。写真右側が日本橋一丁目1番、左側が日本橋室町一丁目1番です。

1丁目1番地#144 中央区日本橋

(昨年12月訪問)

かつての五街道の起点、そして今も主要国道の起点であり日本国道路元標も置かれている日本橋。江戸の商業の中心であり、現在も三越高島屋、そして再開発によって誕生したコレドなど多くの商業施設があります。

現在の町名としては、日本橋駅や高島屋がある橋の南側が中央区日本橋三越前駅や三井本館などがある北側が日本橋室町などとなっています。また日本橋駅周辺以外にも、旧日本橋区の地域では日本橋茅場町日本橋人形町などほとんどの町が「日本橋」を冠しています。

 

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日本橋一丁目1番は八重洲一丁目1番のすぐ東側、日本橋川沿いの西河岸橋と日本橋に挟まれた街区です。八重洲1-1から銀杏並木が続いています。

 

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日本橋1-1-1には総合食品商社の国分グループ本社のビルがあります。シャッターにも日本橋らしさが。

 

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街区の東側に日本橋があります。賛否両論ある今の風景も、首都高の地下化によってもうすぐ見納め・・・と言っても完成は2040年頃だそうなので、まだまだたっぷり観察できます。奥に見えるのは日本橋三越新館です。

 

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12月末の訪問ということで、箱根駅伝に関するお知らせが掲示されていました。この頭上の大きな「日本橋」の看板が見られなくなるのは寂しい気もします。

 

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橋の脇には日本橋の由来について記された碑がありました。 

 

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日本橋の上から、日本橋川沿いの日本橋一丁目1番を眺めます。国分ビルの1階にはその名も「ニホンバシ イチノイチノイチ」というレストランがあり、写真のように日本橋川沿いのテラス席もあります。 1丁目1番地巡りをしている者として是非一度行ってみたいお店です。

ちなみに奥の橋が西河岸橋です。

 

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日本橋一丁目1番から中央通りを挟んだ反対側は、一帯が白い囲いで封鎖されていました。というのもこのあたりでも再開発が計画されており、今後既存の建物の解体が行われるためです。再開発では複数の街区を統合して大規模な超高層ビルを建設するため、街区を分けていた細い道路も写真のように封鎖されています。

写真右側は日本橋西川ビル、左側は日本橋御幸ビルで、どちらも特徴的な建物なので、無くなるとこのあたりの雰囲気も大きく変わりそうです。慣れ親しんだ街の風景が変わるのは寂しいですが、一方で新たにどんな街づくりが行われていくのか楽しみでもあります。首都高地下化や次々行われる再開発など、目まぐるしく変わり続ける日本橋から目が離せません。